おとなりの不登校

「できた」の先に、また次を求めてしまう私へ

なぎです。今日も来てくれてありがとう。

今日はね、子どものできた・できないについて、執着してしまっている自分について話していきたいなと思います。

「行けただけ」で嬉しかったはずなのに

私の子どもは小学校の高学年で、今は全くの不登校というわけではなくて、教室ではない「別室」という場所を設けてくださっているので、そちらに通っています。今はほぼ月曜から金曜まで通えているかな。たまに給食で苦手なものが出るとかで休むこともあるけど、登校するっていうリズムはできてきたかなと思うんです。

でもね、登校が当たり前になってくると、不思議なことに気持ちが変わってくるんですよね。

不登校の時なんて、週に一回でも、給食だけでも、放課後だけでも、って感じで。ちょっとでいいから行ってみようよ、っていうスタンスで。ほんの少し外に行けただけとか、放課後に先生に会いに行けただけでも、頑張ったなあ、進んでるなあって感じられたんです。

それが、毎日行けるようになると当たり前になってきて。今度はまた、新たな要求が出てくる。数か月前の私は、やっと校舎の中に入れて、少しだけでも登校できたことがすごく嬉しかったはずなのに。

なんて人間は欲深いんだろう

うちの子は結構真面目なので、行こうとすると別室が空いている時間はフルで行くんです。普通に通えている子より一時間くらい短いのかな、くらいで。だから客観的に見たら、数か月前からは考えられないくらい進歩しているじゃないですか。

なのに、そのフェーズに入ると、また新しい刺激というか、最終目標がやっぱり教室で。そこに行けていないことで、私の中でまたちょっともやもやしてしまう。むしろ休む日があると、「え、なんで今日休むの?」って。給食が嫌だって言ってても、美味しくないかもしれないけど行ってみたら、なんて結局流してしまったりして。

なんて人間って欲深いんだろうなって思うんです。私だけかな。

そしてふと思ったんですよね。これってきっと、教室に行けたら、次は朝から行かないの、ってなって。フルで行けるようになったら、たまに休むとなんで休むのって思って。それもクリアしたら今度は勉強が気になって。それもクリアしたら、今度は無理してないかなって。もう何なの、親って。すごく想像できちゃうんです。どの段階にいても、あれやこれや、あれやこれや。まるで悩みたいから、わざわざ悩めそうな種を自分で探してきてるみたいな。

コントロールしようと思うことが、おこがましいのかも

前に何かの本で読んだんですけど、人間には「現状維持バイアス」というものがあるらしくて。今の環境や状況を変えることに、けっこう強い抵抗を感じるんだそうです。転職とか転校とか、そこまで大きくなくても、今までやっていたことを変えることに抵抗感を覚える。

だったら、慣れている状況が好きなんでしょ、ずっと慣れたままでいいじゃない、って思う一方で、欲もあるんですよね。そこにすごく矛盾を感じて。どっちかにしてよって。欲まみれなら欲まみれでいいから変化を求めていけるようになりたいし、慣れがいいなら次々欲が出てこないようにしたいじゃない、って。でも、無理なんだろうけど。

なんて複雑な生き物なんだろうって。私だけかもしれないけど、私という人間はすごく面倒だなあなんて思います。

でも欲があるから人間は成長していくんだろうし、慣れることで安心安全の環境を作れるっていうことも必要だろうし。それぞれ悪いところばっかりじゃないんですよね。本当に難しいなって思いました。

そこに他者との比較とかもあったりして。自分をコントロールすることって、本当に難しい。……でも、コントロールしようと思うこと自体が、もしかしたらおこがましいのかもしれないな、って今思ったんです。

そういう複雑な感情や考えをする生き物なんだ、っていうことを、納得まではいかなくても、そういう人間なんだって思った上で、受け流していく、ってことなのかな。わからないけど。他にあるかな、やり方。

じゃあ今日はここまでにしたいと思います。またね。

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