2026.07.11
子供のせいで辛い、と思っていた頃
なぎです。今日も来てくれてありがとう。今日は、子供の不登校について私が学んだこと、というか、気づいたことをお話ししてみたいなと思います。
「なんで私ばっかり」と思っていた頃
不登校になってすぐの頃はね、本当にひどい考え方をしていたんです。なんで私ばっかりこんな目に、とか。もっとひどいと、この子は私を辛い目に合わせたくて学校に行かないんじゃないか、とか。今思うと、すごくひん曲がった考えをしていたなあって思います。
もう本当に、子供のせいで、そればっかりだったんですよね。自分の辛さの原因を、全部子供に押しつけていたというか。それくらい、余裕がなかったんだと思います。
でもね、状況そのものは変わらないんだけれど、やっぱり時間っていうのは、ある程度のことを解決してくれるんだなあって。学校に行けない日は続いていたけれど、私自身がその状況に少しずつ慣れてきた頃があって。そのタイミングで、ある考え方に改めて触れる機会があったんです。
「原因自分論」に、不登校を当てはめてみた
それが「原因自分論」という考え方でした。前から知ってはいたんだけれど、あらためて向き合ってみようかなって。子供の不登校を、この原因自分論に当てはめて考えてみたんです。
この原因自分論っていうのは、何か起きた事柄に対して、自分の影響の範囲で変えられることはないかな、って考えることみたいなんです。自分のせいだって責めていこうぜ、みたいな考え方ではなくて。変えられるのは自分だけっていう前提のもとで、じゃあ自分がどう変われば現状は変わるんだろう、って物事を捉えていく考え方ですね。
その視点で見たときに、私、ピンときたことがあったんです。うちの子はね、幼少期から私にとっては育てにくい子で。きっと相性の問題もあるんだろうけど、性格が私と似てるんですよね。だからぶつかっちゃうことも多くて。特に年長さんの頃、小学校に入る前くらいが一番荒れていて、いろんなところに相談していました。
幼稚園では基本的に外面がいいから、先生たちにはなかなか事の重大さが伝わらなくて。市の相談窓口だったり、就学前と就学後で相談先が違ったんだけど、施設で面談をしてもらったりして。その流れで、就学の直前に一度、発達検査を受けてみましょうということになったんです。
あぐらをかいていた自分に、気づかされて
うちの子は、手前みそだけど、昔から頭の回転は早いなって思っていたんです。言葉のチョイスがなんというか、子供っぽくなくて。単語も早くから出ていたし、結構ベラベラ喋る子だったから、知能は問題ないかなって思って育ててきました。
で、その発達検査の結果が、私としてはびっくりするような、いい意味でびっくりするような結果だったんです。そこからね、この子は偏差値の高いところに行けるんじゃないかって、変に思っちゃったんですよね。塾をゴリゴリやっていたわけでもないのに、なんだか変にあぐらをかいていて。
実際、就学してからも勉強に困ることはなくて、むしろつまらなそうにしていたくらいで。だからそこにあぐらをかいて、中学校もいいところに行けるんじゃないかって思っていて。低学年から中学年の頃には、模範となる生徒みたいなことで表彰をいただいたりもして。もう天狗になっていたなあって、振り返ると思います。家では暴れ馬なんだけど、外ではすごい優等生で。だから、この子は大丈夫でしょう、って。
そうやって天狗になっていたところに、不登校が来たんです。だからね、きっとこの出来事は「ちょっと考えを改めなさいよ」っていう、ピシャリとまではいかないけど、そういうアドバイスみたいな感じで来たのかなって、今は考えています。
不登校をきっかけに思ったのは、学力っていうのは、人間が備えているたくさんの力のうちの、ほんの一つの種類でしかないんだなあ、ということ。体力とか、いろんな力がある中の一つ。学力が全てじゃない。みんな知ってると思うんだけど、頭ではね。
でも、学生時代ってどうしても、数値化されてがっつり出てくるのが学力なんですよね。日々の中で「できる・できない」にさらされるのが、学生時代は本当に学力だと思うんです。だから、学力こそ正義、みたいなところが私の中にもあって。そこを思い直すことができたのが、小学生のうちで本当によかったなって思います。
中学、高校と行くと、もっと如実に偏差値やランクで分けられていって。そうしたら、学力と子供の存在価値みたいなものを、重ねて考えるようになっていたんじゃないかなって。今このタイミングで、学力が低かろうが高かろうが、あなたの価値には関係ない、って腹落ちして思えるようになったこと。不登校でよかった、とまでは言えないけれど、立ち止まる機会をもらえたことは、本当によかったなと思っています。
原因自分論って、言葉だけ見ると強い感じがしちゃうけど。自分にできることは何かな、この出来事は私に何を訴えてるんだろう、って。そういう視点で、これからもいろいろ考えていきたいなと思います。では、今日はここまで。またね。