2026.10.20
当たり前って、本当に当たり前?
なぎです。今日も来てくれてありがとう。
私、子育て中のママさんやパパさんが集まるオンラインのコミュニティに入っているんです。そちらで、先生をやられている方かな、とやりとりをする機会があって。そのときに「固定観念」のお話を伺いました。
固定観念っていうフレーズ自体は、きっとみんな知っていると思うんです。私もなんとなくは知っていたつもりでした。でも、改めて自分ごととして考えてみたら、思っていた以上にいろんなことに気づいて。思い直したところもあったので、今日はそのお話をしてみたいなと思います。
当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなかった
「何歳までにこれができていないと」とか、「学校は行くべきである」とか。最近の我が家でいえば、「学校のイベントは楽しいんだから行くべきだ」とか。そういうこと、自分の中で当たり前でしょって思っていたんですよね。
よく「自分の常識は相手の非常識」なんて言いますけれど、本当にそうだなあって。当たり前だと思っていること、それって本当に当たり前なのかな。固定観念っていう単語に改めて触れてから、そんなことばかり思い返しています。
気づいてみたら、学校のことだけじゃなかったんです。テストは何点以上取るべきとか。家事のことでも、夕飯にはご飯とお味噌汁と、他にも最低二品はないと、って。誰もそんなこと言っていないのに、なんとなく、なければならないって思っていて。カレーの日なんて、本当にカレーしかないと、テーブルがすごく寂しいような気がして。サラダとか冷ややっことか、何かつけなきゃって。
掃除だってそう。毎日はできていないけれど、二日に一回は掃除機をかけなきゃとか。誰も強制していないんですよ。自分で考えて、自分で追い込まれているみたいな感じ。本当にいろんな場面で、固定観念って発動しているんだなあって、すごく気づきました。
「やめよう」とは思えなくても
考えてみれば当たり前なんですよね。何かを判断する基準って、自分の脳みそで決めているわけで。その脳みそは、これまでの経験とともに成長してきたものだから。固定観念だらけであること自体は、きっと当たり前のことなんです。
でも、その「固定観念」っていう言葉を知っておくことで、「あ、これって本当に当たり前なの?」って立ち戻れるようになってきた気がして。このタイミングで触れられて、本当によかったなあって思っています。
もやもやしているとき、これって本当にそうなの? 自分の考えが、自分を辛くさせているんじゃないか。起きた出来事と、自分が思っていること。感情と事実が、ごちゃごちゃにセットになって頭の中にあるのを、少しずつ切り分けられるようになってきたかなと。
学校に行かなければならない。その思いと、行かない子ども。そこで、私はずいぶん苦しんできました。でも「学校に行かないという事実が私を辛くしている」んじゃなくて、「学校に行かないことが、私の固定観念とは違うから、その差が自分を辛くさせている」。そんなふうに理解できるようになってきたんです。
もちろん、「じゃあ当たり前じゃないんだから、そう感じないようにしよう」なんて、そんなに器用なことはできなくて。固定観念だよなあと思いつつも、考え方を変えることってなかなか難しいよな、とも思っています。それでも、辛い感情になったときに、「それって本当にそうなの?」って一度立ち止まれるようになってきた。それだけでも、私にとっては大きかったなあと。
いつか、子どもにも
実はまだ、子ども本人にはこの固定観念の話をしたことがないんです。今度してみようかな、なんて思っていて。でも、子どもに話すとなると、どうしても説教臭くなっちゃうんですよね。
だから、学校に行く行かないみたいな重たい話じゃなくて、もう少し軽い話題で。何か一つ例を挙げてみて、子どもがどう考えているか聞いて。それって事実なのか、感情なのか。そこにちょっと立ち戻ってもらえるような体験ができたらいいな、なんて思っています。
まあ、親の言うことほど聞かないものだから、私が言わない方がいいのかもしれないけれど。それでも、自分がこんなに楽になったから。一度言ってみようかな、って。
こうやっていろんな考え方を取り入れて、自分ができることで、少しずつ自分を楽にしていけたらいいな。そんなふうに思っています。
あなたが気づかずに握りしめている固定観念、どんなものがありますか。一つ一つの感情を振り返ってみると、ふっと気づけることがあるかもしれません。では、今日はここまで。またね。
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